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緑の人

緑の人 vol.03
月田禮次郎さん

可憐で恥じらうように花の表情を傾げる、乙女ユリ。原生種の魅力を伝え続ける、緑の人

水無月のある日、福島県南会津町、標高725メートルの地に、小さく可憐に咲く原生種の乙女ユリを栽培する月田禮次郎さんを訪ねました。 古くから日本で愛されているユリ。地球上に数多くの植物がある中で、この花は福島県、新潟県、山形県の県境の山奥でのみ自生する大変希少な日本の原生種です。現在は、絶滅危惧種に指定されています。この地で生まれ育った月田さんは、自生した乙女ユリを利用した切花の栽培を通して、この花の魅力と存在を日本の人たちに守り伝えています。

乙女ユリとは、ヒメサユリの別名
ヒメサユリは、小さな百合の中でも際立った可愛さに、「姫小百合」と記されます。市場を通して流通する月田さんのヒメサユリは、「乙女ユリ」の名で親しまれています。それは恥じらいのある乙女のように、下を向いて咲くからだとか。私たちがこの花に、出会い、愛でることがきるのは、毎年6月の限られた時期だけ。 日本人の心の奥に宿る、無垢な少女の美しさがその花姿には宿っているのです。

栽培農家泣かせの気難しい花
祖父の代、もともと林業を営んでいた月田家は、父の代で乙女ユリの栽培に取り組むことになります。 乙女ユリは、球根植物。しかしこの花は、自生した球根を移動させても根付かないのだそう。会津の地に古来より咲く花には、品種改良を行わず、自生した様子そのままに切花出荷できるよう、種を蒔くところから育てられています。

種蒔きから花が咲くまでの長い歳月
種を蒔いてから、花が咲くまでは、なんと5年!1年目は、種を蒔き、翌年に根が伸びて小さな球根が形作られます。3年目、春には小さな葉が土から顔をだし、その葉が、2枚から3枚出て大きくなり、茎を伸ばして葉を増やし、蕾をつけ、やっと5年目に花が咲くのです。こうして、長い年月、手をかけ、想いを届けて、乙女ユリは花をつけるのだそう。

採取した後は、連作を嫌うため、土壌を休ませなければなりません。自生の場合は草や木々と一緒に生えているため問題がなく、何十年でも花を咲かせます。他の植物と一緒にいると、土の中での状態にストレスがたまらないので、ユリが呼吸した代謝を他の植物が求め、お互いがやり取りできる。しかし畑では、それがうまくいきません。ユリを育てた畑の土壌の菌のバランスをどのように整えるのか、種から5年かけて花を育て、採取後の畑の土壌を整えていくこの長期のサイクルは、商業目的の栽培では実現できないスケールです。次々と開墾して、最盛期は、2週間で12万本を出荷していました。現在は、2~3万本程度。一度花を咲かせた畑の土壌の問題が大きく立ちはだかります。

「ずっと続けてきて、今では季節の花として認められたことがうれしい」と語る月田さん。親子2代でヒメサユリの栽培技術を確立し、昨年で、栽培歴は50年に。以前のようにいくらでも栽培できる状態ではありませんが、細々とでも続けていきたいと語ります。今後は、一面の乙女ユリの畑ではなく、より自生した環境にちかい、林の斜面の木々の中にも種を蒔くそうです。

真摯に土と花と向き合い、その種を残し、伝えてくれる「緑の人」。簡単に育たないからこそ、そこにより深く、より高めあえる植物との交流を、月田さんは存分に楽しんでいるようにも感じます。ユリのこと、農園内の広大なビオトープ。そこに集う生き物たち。葉っぱで作った風車や、どんぐりの指笛での遊び方。皆が関わり合って豊かな自然が生まれるということを、月田さんの自然とのやり取りが、私たちに教えてくれます。土も花も、虫も動物も、光も風も、人も自然の一部。そんなコミュニケーションが乙女ユリの栽培を可能にしているようです。

「簡単、便利!」を求めすぎた私たちが、先人たちからの文化や自然のリズムに立ち返ることから、手間を惜しむことなく、そのプロセスを学び楽しめれば、今までとは違う方向の「豊かさ」に気がつけるような気がしてなりません。そんなことに気がつけた、月田農園の一日でした。

1, 快くインタビューに応えて頂いた月田さん

2, 月田農園の畑。広大な敷地には、他にいくつもの畑地がある

3, 森の中に作られたビオトープ。大きな池も月田さんの手によるもの

4, 小さくて可憐だが、力強さも感じるヒメサユリ

5, 笹の葉で作った器。月田さんの手の中で、森の植物が次々とカタチを変える

6, ホオの葉で巨大な風車を作っているところ。持って走ると、驚くほど軽快に回る

7, ヒメサユリの名所、高清水自然公園。取材時は開花時期から外れていたため、この写真は2010年の様子

4,7 写真提供=南会津町南郷総合支所

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