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- 緑の人 vol.04
- 野口慎一さん
春の到来は椿とともに。椿に魅了された江戸の園芸文化と、育種家の想い。
野口慎一さん
丸紅
笹の葉
百合の香
ブラックバード
銀座
木の春と書いて、椿。名前の由来は、葉が厚いので「厚葉樹(あつばき)」。葉に光沢があることから「艶葉樹(つやばき)」、が訛って椿と呼ばれるようになったという説もあるとか。
椿の咲き模様
椿は、花びらを散らさずに、首ごとぽとりと花を落とします。その様子から、江戸時代の武士たちは縁起を損うとし、飾る時には配慮の必要な花でしたが、当時、椿の愛好者たちは一向に気にしていないようでした。茶花の世界では、満開の椿は生けず、「蕾を生ける」と心得ます。満開の花には、次に咲く蕾を添える。そんな心を繋いでいく思いやりやいたわりが生活の中の花にまでみてとれるのです。一方で、地面や水面、雪の上に落ちた満開の赤い椿が色づく様子を「落椿(おちつばき)」と表現し、俳句では春の季語とされています。冬から春への、たくさんの希望の想いをのせる花でもあるのです。
今に伝わる「江戸椿」の魅力
日本原産の樹木であり、冬の寒さにも負けず、花も葉にも温かみのある表情が印象的な椿。日本では、古事記や日本書記、万葉集にもその様子が記され、古来より日本人に愛されてきました。江戸時代には園芸ブームが巻き起こり、椿は庶民の間にまで広く親しまれ、大流行したといわれます。二代将軍・徳川秀忠は、江戸城内でも花を楽しみ、育て、全国の藩からは名花を献上させたほどです。参勤交代の際には、各藩がそれぞれ花を江戸に持ち込んだため、そこから様々な種が交配され広がりました。現在、それらの古典品種は「江戸椿」と呼ばれています。当時の美しさをそのままに、今私たちはその恩恵を受けているのです。
育種家は、椿の歴史家
椿の育種家である野口さんは、まるでストーリーテラーのように、椿にとどまらず、椿が愛されたその当時の日本の様子や歴史、文化を研究し、語ります。多くの古文書を読み、独学での歴史的研究や育種、生産の技術からも、椿の魅力や歴史を探り、研究しています。日本原産の樹木と呼ばれていますが、江戸時代にはすでに中国やベトナムなど外国生まれの椿も入ってきました。当時の盛んな園芸文化が、在来種と掛け合わせ、現代にまで続く椿を生み出し、花文化、日本文化の礎を大きく花開かせたのです。椿の花には、日本人の誰もが、言葉にならない「日本の美」を感じ、共有できるから不思議です。日本を代表する椿の育種家・野口さんの眼差しには、現代の美しい椿の様子とともに、その花の奥のDNAに宿る歴史絵巻までもが同時に甦っているようで、臨場感のある椿の語らいが続きました。野口さんはこれからも、椿の中に眠る未知の美を探求し、育種という形で椿の想いをくみ、代弁して、新しい椿の花たちを生み出してくれるのだと思います。
老松
黄蓮華
小黒侘助
花富貴
パーティードレス
青侘助
白小蝶